2009年5月28日木曜日

バルサ三冠達成!

チャンピオンズリーグ優勝おめでとうございます。
今日はバルサを褒めまくり、ということで。

イニエスタ
彼についてはこのブログで何度も触れてるが、現代の奇跡としか言いようがない。

シャビ
イニエスタの奇跡の舞台を演出しているのは彼だ。誰もイニエスタをまねることは
できないが、シャビはチームにイニエスタが必要とする間を提示してみせ、それに
よってサブのメンバーがポジショニングの学習をできるようにするとともに、
イニエスタからのフィードを受けたり、イニエスタの逆サイドで決定的な仕事を
こちらもいとも簡単にこなしたりもする。彼らの間で不用意なパス交換がほとんど
ないことがそれらを象徴的している。

華麗なるスリートップ
アンリ、エトー、メッシのスリートップに関してももはや何も言うことはないだろう。

ダニエウ・アウベス
正直セビリア時代にはここまで献身さと戦術眼を伴った選手だとは思わなかった。
サイドは違うが、ブラジル人の攻撃型サイドバックというとロベルト・カルロスを思い
出してしまうが、あと数年もすれば彼がその代名詞となる時代が来る予感がする。

グアルディオラ監督
新人の監督が国内トーナメント、国内リーグ、ヨーロッパ一の3冠をしかも冬季の
戦力補強なしで成し得た、というのは過去例がないのではないか。自身もバルセロナの
カンテラ出身であり、頭の天辺から足のつま先までバルセロナ一色のこの監督は、この
成果を信じていたかのように、リーグ開始前に献身さ、戦術眼、選手に見合った出場
機会などを軸に大幅な選手移籍を行う(ロナウジーニョ、デコ、ザンブロッタ、
ドス・サントスなどを放出し、ダニエウ・アウベス、ケイタ、ピケ、フレブを獲得)。
加えてセルジ・ブスケツら何人かをカンテラから引き上げた後は、チームを固定し、
選手間の相互の戦術理解一本に焦点を絞ったことが功を奏した。その過程の中で
エトー、グジョンセンには起用条件を明示して残留の判断を選手側に委ねることも
行った。これなどは経営者目線からするとなかなかできることではない。

プジョル
今の体型からは想像できないが、少年時代にひ弱だった彼は木組みの台にタイヤを
載せて引くことにより、頑丈な体型を作ったという。グアルディオラの選手登用の基準
は戦術眼だが、それとは別に明確に「献身さ」=「キャプテンシー」という枠が1枠ある。
そしてそれは彼だけが望んでいることではなく、スペイン国民が望んでいることだ(彼は
スペイン代表チームのキャプテンでもある)。これから引退までの間彼を上回る能力を
持つディフェンダーがチームに参加することは多分にあるだろうが、彼はそれでも
チームキャプテンとしてあり続けるだろう。

マルケス
単に好きな選手なので(笑)。チームが異なれば絶対的なアンカーとしてビジャ・
レアルのマルコス・セナのような活躍ができると思うのだが。あと怪我が多いのも少々
問題か。鹿島のマルキーニョスと同様「この人いい人そうに見えるイレブン」には
ぜひとも選びたい。

2009年5月25日月曜日

見えてきたJ2の勝ち方:今節のサッカーより

昨日をもってJ2の第1クールが終了した(今シーズンは1クール総当り17試合、
3クールの計51試合)。4位甲府と5位水戸は勝ち点差がすでに6もあり、特定
の上位チームが勝ちぬけている様相がわかる。これは得失点差からも裏づけされている。
上位3チームの得失点差は試合数を上回っており、これは各試合平均して必ず1点以上
差をつけていることになる。

2005年の甲府(J2 3位ながら入れ替え戦で歴史的大勝を収めJ1昇格)、昨年
の広島の例のように、圧倒的な攻撃力を武器にしたチームは多少の守備の弱さを
もろともせず勝ち続けられる土壌がもともとJ2にはある。さらに昨年くらいから
「前線からの守備」が世界的な傾向になっていることも合わせ、このふたつを
組み合わせることがJ2レベルでの一つのチーム作りと言えそうだ。MFの香川、乾
という日本代表クラスの2人が得点ランキングの上位にいるというセレッソ大阪が典型
だろう。

今シーズンの昇格組みである広島と山形のJ1での活躍を見ると、もともと予算に
厳しい中揉まれているのでタレント主義でない、戦術型のチームが出来上がるという
言い方もできるかも知れない。数年後J1チームの顔ぶれがどのようになっているか
楽しみだし、ひょっとしてそのことが日本サッカーを大きく変えているかも知れない。

2009年5月22日金曜日

バランスを保つもの:インターネット社会の新たな情報統制

サーチナというサイトをご存知だろうか。日中の文化を越えた相互理解を理念とする
情報ポータルサイトで、韓国の情報も取り入れながら、一つの東アジアリージョンの
情報共有を目標としているようだ。金融情報や企業情報のニュースサイトとしての
使命とともに、オリジナル言語のブログ記事などを日本語に翻訳して、日中間の文化
障壁や精算問題などもさらりと触れていてる。後者の繊細な内容については一定の
「リズム」で紹介されている。多いパターンとしては以前は問題に対して否定的だった
けれども、今はとても肯定的だ、というトーンだ。特によく日本は「褒められる」側に
あり、まるでいまはやりの「褒めサイト」を見ているかのような気分になる(余談だが、
褒めサイトをまだ試したことがないかたは是非一度、へたなセラピーやマッサージより
利きます!)。

正直言えばサーチナのこのような論点(というよりは情報報道の取り上げ方)が
ジャーナリズムとして正しいものなのかはわからない。ただ、情報の鮮度が
インターネットのスピードと同等である時代に、どちらの側に立つでなく「だそうだ」で
終わりがちな従来のマスコミの保守的なあり方よりは(皮肉な例えたが)攻撃的な改革
意識だ。

一方でこの手法はサーチナだけかといえばそうでもなく、日中間の問題に絡んで日本側
にも事を荒立てないようにする一定のコンセンサスが引かれる場合があるようだ。

今週の火曜日と水曜日にかけてACL(サッカー・アジアチャンピオンズリーグ)の
グループリーグ最終節が行われた。鹿島はアウェーで中国の上海申花との対戦。試合中
フォワードの興梠が悪質なファールを受け、救急車搬送される事態となった。また
例によって選手に対するレーザーポインターによる攻撃がスタンドからなされたとも
いう(画像では未確認)。

改めてプレイバックを見てみると、前者と後者は分けて捉えるべきと思う。今プレミア
リーグは中国での放映権を重要な市場と見ていて、大量のプレミアリーグのコンテンツ
が中国に輸入されている。そこから中国サッカースーパーリーグの選手のプレーは
かなりプレミアリーグの影響を受けているように伺えた。ただ、一連のクリスチアーノ・
ロナウドに対する執拗な足元を狙うような悪質行為をも輸入してしまっているようだ。
上海申花にとっては勝つことが上位トーナメント進出の最低条件の中、イエローカード
覚悟で全ての相手選手の足元を「狙う」指示がゲーム当初から出ていたのは明らかだ。
開始早々ボールではなく足元にタックルが行っていたので。非常に悪質だが、文化に
対する感情からくるものではなく、数年前まで中東の選手が大げさにファールを
アピールしたのと同様の、一種の「はしか」のようなものだとも考えれる(一方で
国際化という形で治療しないと悪化する可能性もあるのだが)。

だが、一部の日本のサッカーファンはそのようには捉えていない。下火になったが現在
でも本件に関して対中批判に転嫁している書き込みやブログが続いている。

被害を受けた側であるはずの鹿島や日本の一般的なメディアは本件に関して比較的
静観を保っている。ちなみに興梠は日本代表フォワードなのだが、その選手の怪我を
報道していないスポーツニュースすらある。これは一つの瞬間的な民意感情と異なる
ところに軸を置いた一つのコンセンサスといえるのではないかと思う。ちなみに骨折
ではなかったものの、まだ負傷状態にあるはずの興梠は昨日、5月から6月にかけて
行われる一連の日本代表の各試合の登録(候補)選手26名に選ばれた。これによって
上記のファンの批判は出場できない恐れのある選手を選び、自分の贔屓選手を
選ばなかったことへの岡田監督へと向かい始めている。全くファンって奴は…(苦笑)

先のサーチナには「スポーツ」のタグがない。将来日本と中国はお互いのプロスポーツ
を公平に評価できる時代が来るのだろうか。それとも特定IT技術の秘匿方向と
同様、ファイアウォールの内側に仕舞われるべきもので、永久に双方の国民感情を陽動
させる恐れのあるパンドラの匣なのだろうか。私の半分の興味はそこにある。

2009年5月19日火曜日

リーグ優勝よりもCL:今節のサッカーより

プレミアリーグの優勝がマンチェスター・ユナイテッドに、リーガ・エスパニョーラの
優勝がバルセロナに決定しました。

今節引き分けても優勝という状況で、ユナイテッドはホームですでに単独4位が決定
しているアーセナルとの1戦。両チームとも中盤でのチェックでは厳しさを見せるもの
の、0-0での引き分けにて終了。それでもファーガソン監督にしてみれば過去
10回の優勝のうち、ホームで決めることができたのがたったの1度だったとのこと、
まずは安堵の様子。同じチームの監督を23年務め、うち11回リーグ優勝というのは
サーの称号に本当にふさわしいものだと思う。

バルセロナのリーグ優勝はさらに肩透かし的に決まった。2位のレアル・マドリードが
引き分け以下なら優勝という状況で、土曜日そのレアル・マドリードが来シーズンの
チャンピオンズ・リーグ出場(4位以上)を賭けるビジャ・レアル相手に2-3で敗退し、優勝が
決定。これを受けて急遽日曜日のマジョルカ戦アウェイを完全な飛車角抜きで臨んだ
グアルディオラ監督だったが、ホームの意地を見せたマジョルカ相手にやはり1-2で
敗退。膨大な量のカードを配給することで有名なイトゥラルデ・ゴンザレス主審が、
終了間際に極めてフェアにエトーへのPKを取り、それをエトーがはずした、という
一連のシーンが一番の見せ場だったかも知れない(しかし、ここぞとばかりゴンザレス
さんをアップにするスペインのカメラセンスって一体(笑))

ユナイテッドもバルセロナも、もう気持ちはチャンピオンズリーグ最終戦に行っている
ようだ。ユナイテッドにとっては2年連続世界制覇に向けて負けられない一戦。
バルセロナはリーグ優勝、国王杯優勝と合わせたスペイン史上初の3冠に向けて。
ガチンコ対決は5月27日ローマ、オリンピアスタジアムにて。

SOA教育の出発点はどこに

こちらは今朝の日経本紙でも掲載された記事だが、日本IBMが次世代設計手法
としてのSOAを普及させるためのコミュニティ「パートナー・コミュニティー」を
設立するという。IBMはSOAに関して自分がかかわっていた/現在かかわっている
企業とは違うがSOAの日本での現状を考えると、このような形でもSOAという文字が
本紙に掲載されること自体は嬉しいことだ。とは言え、相変わらず「米~ノウハウを」
「次世代」というリテラシー格差や未来性を、わざとらしい「だという」という語尾でしか
表現できないこの日本を代表する経済新聞の状況をなんと言えばいいのだろうか。
Googleの検索サービスが新聞に及ぶと困るのは、日経とそこに掲載された企業
なのかも知れない。なにせ毎回初めて黒船が来たかのように報道しくれるのだから。

SOAに関して、次世代に必要なのはツールではなく、設計思想教育かと思う。特に
日本の場合はエンジニアはwebエンジニアやクライアントツールのエンジニアから
キャリアを始める場合が多く、SOAというとWSDLのサーバである、くらいにしか
思われていない。そしてそれなら、手で書いても同じだと。
SOAをツールとして取り扱ううちは多かれ少なかれ同じだろう。本来の
サービスに柔軟に対応できるという観点から、システム統合粒度やサービス階層化の
ディスカッション、企業セキュリティとの統合設計方法、プロジェクトを「創造」する
際のテンプレート、Web 2.0をアイコンが動くだけのものにしないためのユーザ
プロファイルとの統合やBIとの連携などが体系だてられ、顧客と技術者、技術者
間同士で意識交換できるための教育が行われる仕組みであれば素晴らしいことかと思う。
これらはSOAを本格的に利用した際に重要な前提や有効な活用方法であると
ともに、学習に際して特定なツールを必要とせず、ITをより効率的に活用するための
将来的にも重要な基礎になるからだ。

記事中の「製品の融通も視野にいれる」というあたりが、とても真逆な香りをかもし
出していて、そうはならないのだろうけど。

2009年5月14日木曜日

まずは競争のルール理解から

不勉強の極みで恥ずかしいのだけれど、このようなブログを掲げていながら
この4月に「超ガラパゴス研究会」(正式名称はIT国際競争力研究会)と銘打たれた
NPO団体が発足されたことを知らなかった。コンサルティング会社、証券会社、
通信事業者などの研究者や幹部が所属企業の代表という立場ではなく個人の立場で参加
している
のだという。現在までに開催された2回の会合の雰囲気については、日経
ITPro等
に掲載されており、もしご興味あれば確認されたい。

さて、小さいながらもこのようなブログも公式の場であることを理解するならば、
この活動への大きなコメントは本年中に発表されるという「提言」を待つべきかとも思うが、
上記のように影響力のある日経でも参加委員の実名付きで逐次論議の内容がネット上で
発表されているので、それら記事へのコメントという形で少々。

競争というのは一定のルールや比較のための基準があって初めて成立つ表現だ。
例えば自動車市場の競争というとハンドルの左右や排気量の大小にかかわらず一定の
商品の基準が論理的・概念的に作られ、それによってシェアが論じられる。ITの範疇
でいけば携帯やPCは同様に比較することができる。ここでいうところのシェアとは
最終セットメーカーのものであり、デザインから販売まで品質の責任を負ったものの
シェアである。従って構成部品や搭載ソフトウェアがどこの国で作られたかを問うもの
ではない。

ただ、携帯やPCについて少々怪しいのは、ベースハードウェアと通信方法や搭載
ソフトウェアなどの関係が自動車のように100:0の従属関係ではなくなることだ。
例えばauが3Gで採用している通信方法であるCDMAはQualcom社のもので
ある。CDMA同士の通信は規格上異なるメーカー間で可能だ。一般消費者用
PCのOSがWindows一色であることについては余計な説明はいらないだろう。
ITのレイヤーが高次に上がるに従ってサービスの相互互換性が付加価値を帯びて
いき、その付加価値がプラットフォームとなると次の付加価値を生むためのレイヤーと
なるというのがIT進化の特徴とするならば、その「とばくち」を提供することは
サービス提供品質に大きく寄与するので、従属関係をあやふやなものにする一方で
商品の販売価値を高めるチャンスを得るトレードオフとなる。

この論点からすると、この研究会でdocomoのiモードを、日本人の高い審美眼に
合わせてサービスを形成した故の過ぎた先進性であるという前提で議論していることは
聊か美化しすぎの感がある。なぜならば、iモードの功罪のもう一つの見方である
「アプリケーション・ファイアウォール」を築いたことによる上位のITサービスの
進化への阻害事実を見失うことになるからだ。すなわち、先にあげたようなnのm乗的
ITサービス進化の可能性を事前に予見していてそのような施策をとったのであれば、
それは顧客主体ではなく、自前主義に基づくだけのことであり、一方で予見できて
いなかったのであれば、偶発的なものをイノベーションとすりかえている香りがする。
つまりどちらも本当の意味での顧客理解に端を発したものではない。

一方、これによって営利メーカーであるNTTドコモが批判されるものではない。
判りやすい例では、中国ではこの議論のような合議制的センスすら認めずに
インターネット回線を厳密にフィルタし、セキュリティを中心とした自国の
ソフトウェア技術を保護しながら、より高次元のサービスがもたらす可能性がある
さまざまな「変化」を予見してサービスコンテンツを制御している。常に「保護」や
「統治」と「市場規模」や「互換性」は相反の関係にある。ガラパゴスの本質がそこから
始まっていることを見落として議論が始まっているようでは、同様に本質的な回答が
出てくるであろうはずもないことが透けて見えてしまう。

歴史的な例えでいうならば、単に見かけの国産ブランドの量確保に走るのは1825年
外国船打払令段階の幕府側の状態かのようだ。しかも論点がより未成熟なように
見えるのは、当時は鎖国政策という太い国策を柱に議論をしたのに比べ、ゴールを国際
競争力においている今回の争点は、まるでどの競争レースに参加しているかも
わからないまま、盲目的に我流の走法が正しかったと裏付けるための理由作りだけに
奔走している感がある。そうこうしているうちにもITを軸としたサービスはより
高次元へと増殖していく。

とは言え、批判ばかりでは明日畳の上で死ねないような気もするので、私なりの然る
べき論点や進め方を再整理するとこのような感じだろうか。。。

(1)ITサービス構造のカテゴリ化と相関・役割分析
ITサービスの構造を箱物、ソフトウェア(基本、付属)、アプリケーションサービス、
アプリケーション開発、規格、公共システム、コンテンツ(ゲーム、広告、コンテンツ)、
ページビュー、トラフィックなどに分けて国別のボリュームをまず理解する。国人口、
言語人口(ネイティブと利用可能言語)の要素なども加え、そこから日本が果たして
鎖国的なガラパゴスであるか、あるいは輸入超過であるか、国民数に応じた箱物
基準であるか、言語への依存度などの特性と相関を抽出し、論理的な理解を進める。

(2)上記カテゴリの傾向予測
それぞれが今後どのように進化しうるかの概略を議論する。例えば具体的には
アプリケーション開発ではオフショア化が加速するなか、日本の開発者人口変化に
対する外部要因とそれがもたらす変化のボリューム予測の表を作成する。コンテンツ
などでは、コンテンツ翻訳による輸出入傾向なども加味する。

(3)注力戦略のディスカッション
(1)(2)を踏まえ施策、戦略や方針、外部要因、アクションといった順番などで
総括に向けた整理をする。


多分、以前の投稿を読んでいた方には、ある程度私なりの結論をイメージして発言
していることに気づかれるかと思う。先に答えを、というのならばICTの進化は
「ICT言語圏=英語」「中国語」「他のローカル言語」という3つの言語圏と
サービスを受けるユーザの言語圏とのバランスとともにある、と現在考えている。
中国語を含むローカル言語圏のICT技術はICT言語圏のフィルターを通らないと
世界デビューはできない。逆も同様で、ICT言語圏をベースに作られたサービスは
ローカルのユーザ言語圏に取り込む際にエクストラなコストを払うことになる。ちなみに
インドの一般大学やICT企業では英語だけで日々コミュニケーションが行われている
という事実をみなさんはご存知だろうか。

2009年5月11日月曜日

開腹からの回復:今節のサッカーより

いやぁ、うまくすると今回はバルセロナ優勝おめでとう、とくるはずでしたが、今節では
決まりませんでしたね。解説のミシェル宮澤さんの通りで、3-1とした段階で油断
したというよりも、「しびれる」試合が厳しいスケジュール続く中、むしろ今の
選手達には90分フルで走りきる体力は残されてなかったようだ。ただ、残り3試合で
勝ち点1、というのは絶対的に優位なのは変わりなく、水曜日のビルバオとの国王杯の
決勝戦に順当に勝つとすると、次節もモチベーション高く…ってMARCA.COMを眺めていたら
イニエスタが直腸を損傷で何センチ切るかわからないってどういうこと?スペイン語から
英語への変換
の段階ですでにおかしいんだけど(...a breakage in the
previous rectum of the right leg...)、想像力を
働かせると盲腸ということか?
少なくとも、国王杯には出れない模様だが、ひどい疾病や損傷でないことを祈る。

開腹手術を経験したことがある人ならわかると思うが、術後は人間に「気」というもの
が本当に備わっていることを体験させられる。特に自分の場合には腹直筋を切断した
のでそのように感じたのかも知れないが、自分を作り上げていた物質的なもの以外
の何かが抜け出てしまったように感じた。なにかこうヘラヘラした感じたというか、
まさに「気が抜けた」状態に見舞われたのだ。

一般的な盲腸の手術だとすれば筋肉損傷もほとんどなく、内視鏡手術で済むので
肉体的ダメージは少ないかも知れない。でも「気」はどうなんだろう。気の抜けた
イニエスタのプレーというのはどうにも想像できないけど。

2009年5月6日水曜日

少女の口唇とタッチギター:映画の話題より

今ふとテレビを点けたら「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」(2004
年)をやっていた。しかももう終わりに近い。でもこの映画は本編と別にエンディング
ロールも楽しめるので良しとしよう。

本編の魅力
子供/家族向けのコメディとしては恐らく最も暗いトーンの映画。とても米国製作とは
思えない。1度見ると、2回目からはこの映画がおもしろどころ探しの類のものである
ことがわかるのだが、これでもかとややこしく恐怖をあおるナレーター(声:Jude
law)に最初は戸惑った。「ハリー・ポッターシリーズ」のような子供受けの小道具
も少なく、これを好きになれた子供は15才になると、もれなく「スゥイニー・トッド
~」へと進めるだろう(スゥイニー~は国内ではR15)。そんな中、毎度ながらの
怪演ぶりのJim Careyに劣らない存在感を見せているのが仕掛け好きの長女役
を演ずるメルボルン生まれのEmily Browning。撮影時16才の彼女の
雰囲気はちょうど子供の冒険以上大人の世界未満というこの映画のテーマに合っている
ようだ。決して美人さんではないが、なにか「口唇力」が凄い。本作以降、映画からは
遠ざかっていたようだが、2009年に入り活動を再開した様子。今後どのような女優
に成長していくかとても楽しみだ(多分に男性目線で恐縮だが)。

エンディングロールの魅力(1)
かなり手の込んだ切り絵風のコラージュ。切り絵の3人兄弟が本編と同様離れ離れに
なり、くっつき、飛ばされ、回転させられる。私の中ではエンディングロールBEST
5のうちの一本。

エンディングロールの魅力(2)
この1曲目"Drive Away"の音はまさにタッチギターの類でないか! 音楽
監督はDavid Thomas。サントラのクレジットを見る限りはロック系の
スティック奏者はいない模様だ。数パートをループにして使用しているようで、
ちょっとだけ残念だが、Tony Levinのソロ作などに興味がある人は是非入手
してみてください。

2009年5月3日日曜日

もしもバルサが会社なら:今節のサッカーより

伝統のクラシコがよもやの2-6でバルセロナが一方的に勝利という形で終わった。
フアンデ・ラモス監督にはバルセロナ対策に2つのお手本があった。引いて守るという
チェルシー(CL準決勝第1試合:0-0)案をとらずに、既報通り攻撃的な素早い
チェックでカウンターというバレンシア型を採用した。先取点を取るもののその後3点
返され、さらには2-4となった段階で、選手にもサンチャゴ・ベルナベウの観衆にも
もはや戦意が残ってなくて、後の2点はおまけのようなものだった。結果として
ノーガード的な戦いに終わってしまった試合、フアンデにとって予想外のシナリオでは
なく、想定されたうちの最悪のシナリオだったに違いない。攻撃の軸を相手の弱点の
左サイド(アビダル)に当て、ロッベンとセルヒオ・ラモスで右サイドから攻めあがる
ことは有効だったが、結果としてバルセロナの左の攻撃スペースをアンリに受け渡して
しまった。ちなみにレアル・マドリードの各得点の直後(4分後、2分後)に
バルセロナは得点を返していて、その2点はともにバルセロナの左サイドから
アンリによる。自身のヘディングで2点目を決めて、直後にアンリに決められた
セルヒオ・ラモス。しかも前半の早いうちに1枚イエローカードをもらってしまい
アンリへフィジカルなディフェンスができなくて易々と抜けられるシーンが何度も
あった。つまり試合はまるでセルヒオ・ラモスと心中をしたような呈そうだった。

同様に世界を代表する超攻撃的右リテラル(サイドバック)である、相手方の
ダニエウ・アウベスは試合が「成立っている」間は非常に静かだった。非活性な逆
サイドのため画面にはほとんど映し出されなかったが、レアル・マドリードのアビダル
狙いがわかった後バルセロナはセンターラインの左よりのイニエスタ、プジョルを
より左サイドの守備に充てていたのは見て取れたので、ダニエウ・アウベスはより
センターの守備意識でポジショニングに努めていたことが容易に想像できる。簡単な
事のようだがチームが個人主義や形骸的な機能主義に囚われている状態では相互理解に
基づいた状況判断は生まれないし、リテラシとしての戦術眼が低いと、相互理解の場の
次元も高まらない。試合が「崩壊」した後、解き放たれた彼はサイドハーフ付近で
例によって高いボールコントロールで相手ファンをいらいらさせ、追加の2点のビルド
アップにも貢献した。

バルセロナのグアルディオラ監督の頭の中にはバルサの選手であるための要件として
相互理解力とそれを支える戦術眼を重要視しているのは明らかだろう。形骸的な
機能主義に陥っているのは他のサッカーチームだけではなく、世界的な企業の傾向かも
知れない。グアルディオラ思想の中で選手が学んだことから、企業の営みに活用できる
ようなポイントを探しだすことは、以前、日本人がオシム前代表監督に求めたような
「組織改革のためのネタ探し」と同程度以上には価値があることかも知れない。
理想のマネージャ像へのアンケートにグアルディオラの名前を挙げる人なんて日本では
まずいないだろうけど。もしリーガだけでなく、チャンピオンズリーグ、国王杯の
3冠を達成したら、多少票は増えるのかな。