2009年3月31日火曜日

SI終焉という預言(1)

「ブログで予言めいたことをするのはやめるべきだ。日記でさえ、あとで恥ずかしい
思いをするのだから、衆知となるブログにおいては、それこそ穴があったら、という
感情に苦しむことになるだろう」というのは、かつてあるブロガーからいただいた助言。
でも、これだけは目に見えるようでしょうがないのだ。そう、予言ではなく、未来
からの預言としておこう。

「日本の古いSI体質は崩壊を見る」

プロローグで書いたとおり、ほとんどのITに関し、最新テクノロジーはほぼ共通言語
としての英語で書かれている。英語のまるっきりダメな日本にとっての問題は、もはや
知っている分野の詳細情報が英語なので理解できない、というレベルにはなく、まだ
日本語では見ぬ技術の概念すら捉えきれていない可能性があるときに、同時にインドを
含むIT英語圏の先進企業の中では、すでにその技術の先行採用が始まっている、
という国家間企業競争力の根底にかかわっている。すなわち、「ITで企業競争力の
向上」というキャッチフレーズは、提案するSI企業の質によっては「(国内企業で
ある我々のできる範囲の)ITで(国内では通用する)企業競争力を向上しよう。」
という意味と捉えなくてはなるまい。

さらにここへ来て問題は深くなり、かつプロジェクトの発注側企業にも波及している。
派遣偽装の問題を契機に、大手のSI企業の多重下請けの廃止による「自前化」と
発注側の小口作業の派遣への切替という二極化が大きく進んでいるのはご存知の方も
多いと思う。その背景は二つあって一つは故意ではないのにそうなっていた、という
くらいの、水面下で多発していた循環取引による売上水増し行為を防止することと、
作業管理不在の中で請負と称して派遣業務が行われていた実体の労務上是正である
(詳細について知りたいかたは日経ITProのコラムなどを参照してください)。
前者への対応は当然としても、後者は業務指示のあり方について大きな、矛盾を孕んで
いる。

日々進化するIT技術と業務指示の関係

いかに昨今の経済事情が100年に一度の事態だとしても、CFOがこの1年に新たに
学ばなくてはいけなかったことは、CIOのそれよりも少ないだろう。それほどにIT
の企業活用は日々進化している。これをCIOの指揮の元、企業の内側で全て掌握
することは不可能に近い。さらには前述の英語力の問題や、欧米企業などに比べた
IT投資の効果性把握としてのEA(Enterprise
Architecture)的なメソッドロジ導入への意識の低さも加わり、SI企業への依存
体質を形成してきたと考えられる。発注企業側は自身が最新テクノロジーの理解者
でなくうまく発注指示をできないことのバーターとして、すでに露呈していたSI企業の
階層的な作業構造を逆手にとった包括的な契約提案を進めてきた。皮肉なもので、
よくプロジェクトマネージャ教育の教科書に「顧客要求の理解」というのがあるが、
SIの営業側からすれば大規模になるほど、現場レベルの顧客要求があいまいになって
いき、どれだけ「ケツをまくれるか」が受注成否の鍵になっていくことは体感している
はずである。端的には、年金システムの失敗の根源はここにある。言い様はおかしいが、
丸投げを行った全体管理責任は大いにあるが、場ごとの技術管理において知識が至ら
なかったことの責任は、そもそも理解し得なかった、という情状の余地を残している。
のど元過ぎれば…なのか、それとも正しい自己反省から生み出されたのか、省庁合併
以前の話であずかり知らぬ、なのか、現在厚生労働省は、二次請防止政策への
「(先述の背景のように)スキルが細分化するなかの二次請の必然性と、作業確認の
三者(あるいはそれ以上の)共同化が必要」という意見に対し、「(二次請以下の作業
確認への)参加自体は禁じていないが事例ごとに指揮系統の存在有無から違法性を
確認」すると回答したという。
つまり顧客->一次請->二次請と順番に業務は「指示」されることが常態であり、
そうでない場合は厚労省が都度審査する、というのだ。繰り返しのようだが、ITに
おいて、業務指示は多くのスキル表現の塊だが、厚労省はこの矢印の向きと逆にスキル
が流れることの実体量も理解できていないし、そのスキルの塊を自らが審査できる
というのも甚だ妄想的である。
かといって、厚労省の根本の立脚点は二次請以下の労働環境の改善であり、その事に
疑いはない。目的の認識は良い。施策が現実的でないのだ。IT作業において
業務指示は契約の流れと相対するばかりではない。そう、「ソリューション」とは発注側
が持っていないこと、思いつかないことを提供することだ。(続く

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